全て学校でやるのは不可能

第2次ベビーブームの子供たちが受験を迎えた1985年頃は、1975年頃からの「乱塾時代」もピークを迎えていました。それまでは、学校と塾の分業化が暗黙のうちに行われていたと言われていたと言われていましたが、このころになると、学校側でもそうは言っておられず、やむに止まれず受験指導をするようになっていきました。そのような学校と塾との役割の逆転現象が以降続く中で、生徒数増大で「新設高校」ができ、またそのような高校は周囲の期待に応えるべく実績を上げることに注力し、補習授業やその他あの手この手の方策が行われるようになっていきました。そして今度は逆の「少子化」へ突入していったのです。そうなるとますます学校は、生徒集めに奔走され、「面倒見がいい」「塾いらず」といったあれやこれやのアピール合戦が繰り広げられ、入学後は受験のための補習授業で何とか名門校への合格率を上げるべくあの手この手が打たれていきました。まさに従来の塾のお株を奪うような施策が行われるようになっていきました。

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